ご挨拶

日本旭会会長 竹本旭将
筑前琵琶日本旭会会長竹本旭将です。この度日本旭会の公式ホームページを作成する事となりました。日本音楽の中で、古い歴史を持つ琵琶を絶やす事なく、後世に伝え守っていきたいと、日々精進致しております。日本旭会は、関東、関西、九州と大きく三ブロックからなり、毎年持ち回りで、日本旭会全国大会を開催しております。また、各地で各旭会および会員が、それぞれ演奏会を開催し活躍しております。これからも、皆様方の暖かいご支援を賜ります様宜しくお願い申し上げます。
橘流筑前琵琶日本旭会の歴史
桓武天皇の時代(720―805)筑前国三笠郡四天王山北隅の渓谷に、橘定玄と称する一沙門があった。
延歴7年比叡山延暦寺根本中堂創建の際に上洛し、琵琶を弾じ「地鎮陀羅尼経」を読誦して、国土安穏を仏天に祈りその法力を認められ、朝廷より「玄清」の名と「法印」の号を賜って帰国した後、成就院を建立して筑前盲僧の本山とし、盲僧を集めて「地鎮陀羅尼経」を唱え、琵琶を弾じることを教えた。これが後世の筑前琵琶の源流となっている。
玄清法印没後、九百五十余年を経た、安永十年五月、筑前琵琶中興の祖といわれる橘真定は、京都粟田口清蓮院宮に請い、盲僧部を再興した。その真定から五代目に当たる橘智定が、筑前琵琶旭会宗家一世旭翁である。
一世旭翁は、明治十八年の頃から楽器の改良と共に歌節の創作を志し、明治三十二年、小松宮の御前弾奏に際し、初めてこれに「筑前琵琶」と命名した。明治四十二年五月「大日本旭会」を組織して全国門弟の統率を図る
三世旭翁の世には先考の遺曲をも守りつつも、常に時代に沿う新曲の創作を続け、戦後は琵琶の復興に全力を注ぎ、昭和二十四年、大日本旭会を「筑前琵琶日本旭会」に改め新しく自由な作曲をすすめ今の世にまで続く礎となる。
歴代宗家
